Diary 2004年11月27日

相変わらず「ヨン様」熱は凄いなぁ~。
冷めて見てると「何やってんの?」って感じだし、「日本は平和で良いなぁ・・・」と言う気がしなくも無いが(どっち?)、まぁ大らかな気持ちで見てあげるとすれば、「日韓友好のきっかけになるかもしれない?」・・・って事は無いだろうなぁ~(笑)
チョナン・カンの方が友好には貢献してる気がする。

どっちでも良いけど「定率減税」廃止反対!あと扶養者控除とか、その他の控除廃止も反対!
確定申告している人には、実感有ると思うよ。

☆ランチをしながら雑誌を読んでいたら「映画寸評」のコーナーがあり、“ハウルの動く城”に対する感想が書かれていた。
淡々と書かれていたが、誉めていないのは明らかで、宮崎アニメの生い立ちや変革と言った背景と照らし合わせながら書かれており、読んでいて妙に納得した。

もともと宮崎アニメと言えば、トトロやナウシカ、ラピュタと言った、子供に対するファンタジーな世界を描いてたと思う。その精神と言うか、気持ちがあったからこそ「カリオストロの城」と言うルパンの代表作まで生まれたのだと思う。
それが「もののけ姫」の頃から、少しずつバランスが変わり始め、いつしか大人に対する評価を気にすると言うか、芸術作品みたいに高尚な・・・と言うか、少し能書きが優先になってきたような気がする。

それでも「千と千尋」があれほど評価されたのは、やっぱり子供に対する寓話的と言うか、何処かノスタルジックで優しい柔らかな丸みが残されていたからだと思う。その部分を子供は、あるいは子供のような感性のある大人は感じたのだと思う。

ところがハウルは、あまりにも作品性を追求しすぎたのではなかろうか?その結果、映像的にとか、興行的にウケたいと言う色が濃く出てしまい、好き嫌いがハッキリと出てしまったのかもしれない。

ところが大きな声で発言できる大人は、その辺りの事を置き忘れ「凄い作品」と評価し、あるいは、本当はイマイチ面白くないと思いながらも、そう発言する事が憚られているのかもしれない。そして大人ほど声の大きくない子供の意見は、大衆の声にかき消されてしまう。別にそれでも構わないんだけど、所詮、経済ベースに乗った経済行為の産物なのだから。

でもね、大人も子供も関係なく、「好きなものは好き、嫌いな物は嫌い」と発言できる環境が欲しいし、自分で見た物・聞いた物、あるいは触ったものが、どんな感触だったのかと言うことを、自分の言葉で喋れないとダメだよね。

 

ハウルの話をネタにして書いているけど、ハウルは一つの例え話で、本質はもっと違うところに有って、好きなものは好きって言えない人が多いということさぁ~。でもね、それじゃあ何も出来ないし、何も作れないし、何も考えられないと思うわけさ。

例えばさぁ~、どんなに汚れている景色で、多くの人が「汚い景色だな」と言ったとしても、その中のたった一枚の落ち葉を見て「ああ、綺麗だな」と思ったとしたら、そう言えば言いさぁ。人の視点や評価はそれぞれだからさ、誰も見向きもしない些細な事に感動する事だって有るわけさ。

言葉に表すのが恥ずかしくても、心の中で思う事は許される筈さ~。
大衆に流される事も必要だし、迎合する方が楽かもしれないけど、それだけだとつまらい訳さ。

周りと違っても、自分の言葉で話し想像することで、その先の創造を探したいと思うわけさぁ。それってダメかい?
な~んか、そんな事を考えさせられる事が有ったと言う訳さ~。


以上、途中から恵文が混じったさぁ~(←最近“ちゅらさん”のビデオの見過ぎさぁ)

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