自覚


例えば狭い路地で、擦れ違う時に少しだけ避け、相手に道を譲ってあげようとする気遣い。譲られた方も、「どうも」と一声、礼を言う。そんな他者を気遣う気持ちを、最近はとんと見ない。

例えば公共施設の階段を掃除している、掃除のオバサンが居たとする。掃いている横を通るときに、「すいませんね」とか「ご苦労様です」と言いながら通っても、罰は当たらない。それなのに今は、軽く舌打ちをしながら通る人さえ居る。まるで掃除している事が邪魔だと言わんばかりに・・・。そう言う光景を目の当たりにしちゃうと、なんだか見ているこっちが申し訳なくなってしまう。

それから、この時季になると渡り鳥の巣を観察するボランティア団体が、調査活動をしている。彼らは善意のボランティアだから、他者の家でも何の断りも無く入って来ては、軒下の巣の写真を撮る。そこには他者の家、他社のマンションと言う遠慮や配慮はないような気がする。せめて目が合った時に、「こんにちは」とか「写真撮っても良いですか?」と聞いてくれれば、「どうぞどうぞ」と言う触れ合いが生まれる。でもそれが無いと「何してるんですか!」と、いきなり殺伐とした情景になってしまいかねないのが現代。

公共の場も渡り鳥の調査も、傍には小さな子供達の目がある。その子達の手本となるような振る舞いが、今の大人には欠けている。自分たち大人が手本を示していないのに、「今の子供は」とか「最近の若者は」と、言う無かれ。自分が出来ない事は、子供だって出来ないのです。少なくても、その事だけは知っている大人でありたいと思う訳です。

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