見つめ直す


先日聴きに行ったセミナーの資料を、後日届けて頂いた。当日は配布する予定が無かったとのことで、無理をお願いして頂いた資料なのだが、返って手間をお掛けして申し訳なかった。届けて下さった方と、今後変わり行く建築業界・設計業界の先行きを憂い、雑談していたのだが、その中で「安くて良いもの」と言う基準についての話になった。よく「安くて良いもの」と言う基準で物を買ったり選んだするが、この「安くて良いもの」と言う考え方は、もとも日本には無かった考え方では無いだろうかと。

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日本人は、もともとが農耕の民族だった。だから良質の米や野菜を作ることを得意とし、自然を恐れつつも敬い、それに立ち向かう気概と向上心を持っていた。そんな日本人が物を作るとき、例えばそれが農具や生活必需品だった場合でも、繊細に丁寧に作り上げる事を旨とした。その精神や考え方が、後の物作りとして職人さんたちに受け継がれ、その丁寧さや拘りを「職人の魂」とまで呼ぶようになった。

そんな職人さんたちが精魂込めて作り上げた品々は、日常の生活必需品でさえも、工芸品かと見紛うばかりの完成度であり、多くの人が長い時間愛用する品となる。勿論、そんな品を作り上げるには時間も掛かり、その値段もけして安い物とばかりも言えなかっただろう。それでも物を大切にする日本人にとって、長い時間愛着を持って使い続けることで、値段の高さをカバー出来たのだろう。

そして時代は流れ、物作りは機械化による大量生産の時代に入る。オートメーション化により、同質の物が早い時間に大量に作れるようになった。当然ながら製作コストも抑えられるようになる。反面、物は短いサイクルで使い捨てられるようになり、消費の時代へと変わっていく。つまり軽薄短小な時代への突入だ。「安くて良いもの」と言う曖昧模糊とした、物への評価基準的な言葉が生まれたのは、たぶんこの頃だと思う。

この「安くて良いもの」と言う判断の仕方、強いては基準としての言葉を、じっくり考え直す必要は無いだろう?「安くて」の安いとは、一体なにを基準に「安い」と捉えているのだろう。例えばスーパーに行ったとき、パック詰めして並べられている牛肉を見比べ、隣に並ぶ牛肉と、量も産地も賞味期限も同じだが、こちらの肉の方が安いから、これを買おう・・・と言う意味での「安い」だろうか。

そうだとすれば、今度は「良いもの」と言う言葉の定義が重要となる筈だ。同じ量・同じ産地・同じ賞味期限で一方だけの値段が安い場合、その理由は何だろうかと、普通の感覚なら考える。だがそこら辺りの「質」に対しての、吟味や疑問は抱かない。「売られている物だから」「並んでいる商品だから」と、自分の目で見て、触って、聞いて判断することはしない。悪く言えば、その判断は「人任せ」となり、自分の判断基準を持たなくなってしまう。

日本には、「安物買いの銭失い」という諺がある。安い物を買うと質が悪かったり、壊れ易かったりして、結果的に損をすると言う意味で、安過ぎる物を買う事に対する戒めの意味がある。

物には適正な値段が有る。それはトイレットペーパーでもガソリンでも車でも同じで、勿論「住宅」にもある。住宅の場合、「安くて良いもの」と言う言葉を、「ローコスト住宅」と言う言葉で表現するのかもしれない。概念的には、肉を買うときの「安くて良いもの」と言う感覚と、家を建てるときに使う「ローコスト住宅」と言う言葉の概念は、限りなく近いと思う。しかしそのどちらの言葉も、けして魔法の呪文ではない。

物には見合った適正な値段があり、安い物は安いなりに、高いものは高いなりの質を持っている。それを自分の五感で感じた上で、判断をする時代に変わりつつあるような気がする。それを自分で判断する事を放棄してしまうから、そこに付け込む生産者に食品が偽装され、建設関係者に建物の質が偽装されてしまうのだと思う。勿論、偽装する側が悪であることは大前提だが。

地球環境に配慮をと言いながら、大量生産・大量消費を促す政府もアホなら、それに乗っかって、有り余る物の中で埋もれながら、買っては捨て買っては捨てを繰り返す消費者もアホなのではないだろうか。本当に地球環境に優しい暮らしがしたいなら、まずは物を大切にし、余計なものは持たず、持っている物は長く使い、建てる家には長く住むと言う発想が必要だと思う。

住宅における収納スペースの広さは、延床面積の15~20%程度だと言う数値を、何処かで見たような記憶がある。でも果たしてそんなに必要だろうかと、一度考えた方が良さそうだと思う。なぜなら30坪の家なら、4.5坪~6坪の広さになるからだ。それは9帖から12帖と言う広さを意味する。その広さは小さな家なら、LDKに匹敵する広さと言える。

本当に豊かなこととは、本当に必要な物しか、物を持たないこと。そして本当に必要な物とは、けして「安く手に入る良い物」ではないと思うのです。「豊かな社会」になる事は大切なことですが、本当の意味での「豊かさ」とは何かを、あらためて問い直す必要があるのかもしれません。

休み中に思ったことです。

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