事実は小説より奇なり


近頃、小説の中よりも過激な事件が多い事に、本当に驚かされています。
例えば現役大臣や官僚ではなく、引退した役人やその家族を狙う連続殺傷事件。動機や背後関係は今だ捜査中だと聞きますが、事件発生直後は思想的背景を持った「テロリスト」の犯行だと、まことしやかに、しかも凄く早い段階で「断定的」に報道されていました。
事件そのものも怖いし、その報道の裏に蠢くゴニョゴニョも怖いです。

またゴルフ場に対する脅迫として、手榴弾を投げて建物を爆破し、ゴルフコースに地雷を仕掛けたと言う、脅迫文まで送り付けると言う事件も発生しています。手榴弾を先に見せられたので、地雷と言う言葉が妙に説得力を持って聞こえますが、そうでなかったら「いまどき日本に地雷なんかあるものか~」と、思ってしまうことでしょう。少なくても私は、そう思ったと思います。

殺傷と言う行為、爆破、地雷、脅迫と言う行動そのものの脅威は勿論ですが、そこへ至る思考のジャンプや無謀な行動力が怖いと思ってしまいます。ミステリ小説の中では、それはそれは残虐な事件が描かれ、突飛な事件が日夜生み出されていますが、それは小説と言う知的生産物の中での知的なゲームに過ぎません。

小説の中でのバラバラ殺人事件は楽しんで読めますが、街で人と擦れ違った瞬間に肩がぶつかっただけで、物凄い恐怖を感じるのが現代社会だとすれば、本当の意味での恐怖は、些細な日常の中に潜む「小さな悪意」なのかもしれません。

もうすぐ師走。年末だと言うだけで気持ちまで慌しくなりますが、人に優しく、自分にはもっと優しく出来る(笑)、心の余裕だけは持っていたと思います。

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