Essay 48 欠陥住宅に対する一つの見解を受けて

かなりガッカリした本がありました。それは、「騙すほうも悪いが、騙される方にも落ち度がある。住宅を買うには、買う側も知識武装が必要だ」と言う内容でした。いつから、家を買うことが、「リスクを伴う非合法行為もあるから引っかかるな!」レベルになってしまったのでしょうか!



と言う内容の話しを耳にしました。(いや、目にしたと言うのが正確かもしれません)
まったく、その通りで思わず溜息をつきました。著者が言わんとしているのは「悪い奴がいるから油断するな」と言う趣旨なのかもしれません。それは判ります。私だって、コラムの中に書いている「失敗しない家造り」なんて話しは、言ってみれば「石橋の叩き方」を書いているような物ですからね。


でも、それと「買う側の落ち度」とは、チョット違うような気がします。正直言えば、私だって「設計事務所」と言うスタンスで仕事をしている身、「メーカー住宅なんて止めなさいよ!」と思う気持ちもありますが、現実にメーカー住宅を好む人が多いのも事実。だから、私じゃなくてメーカー住宅を選んだ人に、「石橋の叩き方」を教えるような、お節介な事を書いているんです。


それなのに、その消費者の足元見るように「見つかん無きゃ、やっちゃえ!」って言う住宅メーカー側の企業理念て何?全国的に店舗を構えて、グロスで商売するって、一体どう言うつもりなのでしょうか?

住宅とは常に「住む人の為だけの一棟」が基本なのを忘れたのでしょうか?企業には何千棟の中の1棟でも、住み手にとっては唯一の一棟なのを。


一消費者が、家を買うときに「プロと同程度」の知識を持たなければ買えないほど、苦労を強いられなければ、いけないのでしょうか?その「理屈」を振りかざす前に出来る事は無いのでしょうか?

もっと、端的に「信頼できる大先生の建築家に任せなさい!」と言う方が、まだマシです。仮に「住宅購入者」が知識武装する事で、「欠陥住宅」問題を解消できるならば、設計者としての「職能と職域」はどこに行くのでしょう?


工務店にも建設会社にも、そして住宅メーカーにだって「建築士」は存在しています。そして我々のような建築士も。この「設計士」が「良く建てる・適正に建てる」と言う使命を忘れたか、あるいは企業の中に埋没して「設計士」ではなくなったかの、どちらかではありませんか?


残念ながら、現行法ではまだまだ「欠陥の証明」がしにくく、業者擁護になりがちな法律だけど、だからと言って「何やっても良い」って事にはならないと思います。


私の、こんな拙いホームページを立ち上げてから、2ヶ月半が過ぎようとしています。お蔭様で時々「相談のメール」も頂けるようになりました。でも、その殆どが「欠陥住宅問題」ばかりです。しかも、全て名の有る大手のメーカー住宅ばかり!これって一体何ですか???


「工事する建物の棟数が多いから、結果的に見つかってしまう欠陥も多い」なんて言い訳する気じゃないですよね?


もう止めた!今までは、なるべくフェアに発言していたけど、これからは「悪い物は悪い!」と言うことにする。だって、そうでもしなければ「襟を正す」なんて姿勢にはならないでしょう?そしてまた誰かが、辛い思いをしながら、一生ローンを払い続けることになる。それも「騙される方も悪い」と非難されながら・・・なんじゃこりゃあ?


その論法って「レイプされた女性も悪い!」って言ってる「レイプ裁判」と同じ論法だと思いませんか?本当にそうですか?その意見の発言者、つまり著者が誰だか知らないですが、その著者の娘が通り魔にレイプされても「レイプされた、お前にも隙が有る」と言うのでしょうか?人の痛みも知らないくせに、高い所から見下ろしながら、判ったように物を言う奴は嫌いです!


建築だけでなく、どんな商品だって消費者が、その安全性や機能を全て知らないと、安心して買えないのですか?有害物質が混入していた牛乳を飲んで、苦しむ人の枕元で「安全を確認する知識の無い、お前が悪い」と言うのですか?


情けない、本当に情けない。私は道を見失ったような気がします。ネーム・バリューさえあれば、雑な工事をしていても依頼が来るが、どんなに真面目に仕事をしていても、ネームバリューがなければ信用されないのなら、こんな仕事なんかクソだ!

いかにして「良い建物を造るか」と言う考えは二の次で、いかにして「利益の幅を増やすか?」と言う考え方でなければ、やって行けないのなら、私には一体何が出来るのだろう。私は一体どこに行けばいいのだろう。



私が、幼い娘の手を引いて歩いています。まだ、ようやく歩き始めたばかりの娘の手を、転ばぬように気にしながら。すると私の直ぐ目の前で、同じような年頃の子が転んで泣いています。


行き交う人は、誰一人その子供に手を貸そうとはしません。転んだまま、痛みに泣く子供の周りを、足早に通りすぎて行くだけです。

私は、その子を抱き起こしてました。洋服に付いた砂も、払ってあげました。足は擦り剥き、血がたくさん出ています。私は驚き、辺りを見まわしました。

すると、離れた所で煙草を吸っていた、その子の母親は言いました。
「勝手に転んだ、その子が悪い・・・放っておいてくれ」と。
今の私は、そんな気分です。私に何が出来ますか?



私が、日本中の全ての住宅を背負って立とうなんて、これっぽっちも思っていません。私に出来るのは、私を選んでくれた方の「家」を精一杯、良く造り上げる事だけです。それだけでも、大変な事です。でも目の前で転んでいる子供を見て、放って置く訳にはどうしてもいきません。それとも放っておくのが、今の「社会」と言う物なのでしょうか?転んだ子供に、責任を押し付ける時代なのでしょうか?子供は、次からは転ばぬように気を付けるかもしれません。それでは、「家も次からは、気を付ける」と言う事が、通用するのでしょうか?


私の元に届く「欠陥問題を抱える人のメール」も、実際に会ってお話を聞ける人もいます。私にお手伝い出来ることなら、どんな事でもしましょう。でも間違わないで下さい!!私は「後手の対応」がしたいのではありません。そんな事になら無いように、して欲しいと活動しているのです。


なんで、辛い思いをしている人の、手助けが楽しいもんですか!そうじゃないでしょう!「楽しく快適な家」を造る手助けをするのが、私の使命で仕事です。


私は、「建築のコンサルタント」になりましょう。一人でも、辛い状況に落ちないように、1軒でも素敵な家が立つように。それが、私に出来る事ならば・・・・・。

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