Essay 11 コンビニ不要論

イキナリで申し訳無いが、私は常々「コンビニ」は必要無いと思っている。始めから辛辣な書き方をして、コンビニ関係者やコンビニ愛好者には顰蹙を買うかもしれないが、思ったことをありのままに書きたいので多少の無礼は勘弁して欲しい。
コンビニエンス・ストアなる物が不要だと言っているのだから、利用しないのか?と聞かれれば、答えは「NO」です。3日に一度程度なら利用もするし、便利さも理解しているつもりです。(自己矛盾してますが)でも無くなっても、きっと私は全然困らないだろうと思うし、ひょっとすると、スッキリするかもしれないとさえ思っているのです。
 
今の時代、どんな小さな街でも「コンビニが無い街は無い!」と言えるほど、コンビニは多く存在しています。山の中だろうと森の奥だろうと、目的を持って「そこ」へ行こうとするような場所ならば、間違い無くその道すがらに、看板を見つけることが出来るでしょう。
ハッキリ言って見苦しいよ~!一言で言えば邪魔!でも、利用してしまう・・・チョット悔しい。
 
緑豊かな山の中に、突然「異世界の申し子」のような看板を「これでもか!」と言わんばかりに主張する。センス無いったら有りゃしない。目立てば、何をしても良いって感じが好きでは無い。でも買ってしまう・・・。私が、コンビニ無用論を唱える理由は、大きく分けて3つあります。
【その1】
 
まず、街の中が汚れるでしょ~。
コンビニ店の周りは、必ずと言って良いほど汚れていますよ。
お菓子の箱やジュースの空き缶、パンの袋に読み捨てられた週刊誌・食べ残しのお弁当まで、様々なゴミが風に舞ってヒラヒラしている。
 
コンビニの人も、周辺の掃除はしているようだけど、汚す量が凄くて追いつかないのが実情でしょう。それに、正直言って「バイトのお姉ちゃんが、大事な爪を汚してまで一生懸命に道路に落ちたゴミの掃除をしているとは思えない?」(多少の偏見はご容赦を)
 
勿論コンビニ自体が、汚しているのでは無いことなど、重々承知していますよ。店で買い物をしたお客さんが、その周辺を汚しているのでしょう。でも「だから責任は無い」とは言えないと思っています。
 
今のコンビニで買えない物は無い。タバコ・アルコール・エロ本にスキン。なんでも気軽に買えてしまう。勿論、未成年が買うにも何の支障も無い。「商売だから」売れれば何でも売る!儲かれば何でもやる理論は判ります。その恩恵をこうむっている事も体験して知っていますよ~。
 
でも、結果的に街を汚すゴミを大量に放出している事実も、その周辺の汚れ方を見たら言い訳は出来ないと思うけど?
お店の入り口に、ゴミ箱を設置しているのも知っています。「やることはやっている!」と言われるだろうが、どうしても納得がいかない部分があるんですよねぇ~。
 
例えば、お肉屋さんの店の周りにコロッケの食べカスが散らかっているのを見たことは無いでしょ?八百屋さんの周りでたまねぎの皮が捨てられているのも見たことが無い。百歩譲って、スーパーは、コンビニと同じような商品を売っているにも拘わらず、その周辺が汚れているのを見たことが無い・・・なんで?
一体、何が他の店と違うって言うの?
 
コンビニは、目立つことを最重要に考えているから大きな看板を立て、派手な色の店構えになっている。チェーン店ごとに特色を出した建物になっている。そして、その統一されたデザインや色使いに例外は一切無い。閑静な住宅街だろうが、緑豊かな山里だろうが、都会の真中のオフィス街だろうが皆一緒!。決して、周辺の状況など考えていない。自分が儲かるなら、何でもすると言う『企業理念』なの?と疑いたくなってしまう。
 
【その2】
 
コンビニが日本に登場したのは、今から20数年前。マクドナルドのハンバーガーよりずっと最近なんですよ!その当時は24時間営業している店など皆無で首都圏のごく一部の店だけだったのです。
 
フランチャイズの本部でも、24時間営業させるための審査は、かなり厳しかったのです。だから、地方のお店は、ほとんどその日のうちには店を閉めていました。
 
ところが、今は24時間営業することが当たり前で、深夜も早朝も買い物が出来るありがた~い状態。その結果どうなりました?地域に密着した「小売店舗」は次々と店を閉め、大型スーパーとコンビニに、お客さんを根こそぎ持って行かれる事になるのです。
 
勿論、小売店舗にも上手な対抗手段があれば良いのですが、8時には店を閉める小売店と11時まで営業するスーパーや24時間開いているコンビニと、どうやって戦えば良いのでしょう?「もう少し何とかならないのかなぁ~?」と首を、捻ってしまうのは私だけなのでしょうか?
 
【その3】
 
一日には昼と夜が有る・・・これ当たり前です。
ところが都会の歓楽街ならいざ知らず、住宅街のど真ん中でも未成年が堂々と溜まることの出来る「小さな歓楽街」が有る。それがコンビニだと思うのです。
 
昔は子供が夜に出かけることが出来なかった。出かける理由が無かったから。だから、親とも関わる時間を持たざる得なかった。
 
「うっとおしいなぁ~」と思いながらでも、親と話をせざるを得ない。だって、行く場所と必要性が無いんだからテレビを見るか、寝るかしかないでしょう?
 
ところが今は違う。親が「うるさいなぁ~」と思えば出かければ良い。「ちょっと、コンビニ!」と棄て台詞を残し、深夜に堂々と出かけてしまう。コンビニの前で大勢の若者が屯しているのを、見かけたことが有りませんか?
 
近年、未成年者の犯罪が多発し新聞やテレビで「事件」を目にしない日はありません。理由は私にも判りませんが、親の躾や関わり方にも、問題があるのかもしれないとは思います。
 
でも良く考えれば未成年の問題は、昔からあったこと。何も昨日今日、降って沸いたように「未成年者」が事件を起していた訳ではない。
 
終戦直後だって、高度経済成長期だってバブルの真っ只中の時代にだって、未成年者の事件は有った。お忘れですか?ただし、今ほど陰湿に残虐に「命」の重みを知らない時代ではなかった。
 
その全ての原因が、何か一つのことで有るなどと暴論を吐くつもりはありません。いろんな要素が絡まった時代なのでしょう。しかし、その要素の一つに「お手軽な歓楽街」が有るのかもしれないと考えるのは、突飛な発想でしょうか?
 
私が子供の時代には「闇」と言う「恐ろしい」場所や、時間が有りました。とても怖くて近寄りたくないと思う場所が。それは家の中にも有ったし、ましてや深夜の外の世界など知りたくも無かった。
 
幼児と呼べるような時代には、トイレに行くのにも長い廊下は暗くて嫌な音がして怖かった。その「闇」の中に恐ろしいものが有るような気がして、引きずり込まれるのが怖かった。
 
子供心に、間違い無く「怖いもの」が存在していたのです。でも今は残念ながら、そんな闇など何処にもありません。家の中にも街の中にも子供たちが「恐怖心」を抱くような時間と空間が無くなってしまったような気がします。
 
それは自分の「心の中」を、正しく見つめることが出来なくなった証では無いでしょうか?私は、そんなふうに思うのです。  
 
数年前にあれほど騒ぎ立て、タバコやアルコールの自動販売機が、夜の11時で使用出来なくなりました。その理由を覚えていますか?
 
人は便利さと引き換えに、何かを無くしてしまったのかもしれません。そして、その「何か」を探している時代が「今」なのかもしれない。子供だけでなく、大人さえもが住みづらい世の中なのかなぁ・・・?
 
きっと今夜も仕事の後に、コンビニに行くんだろうなぁ・・・

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