Essay 29 バリアフリーの意味

福祉だ!高齢化社会対策だ!と、声高に叫んでいた選挙も終わりました。本当は選挙が終わった後が大切な筈なのに、当選した途端に、何もかもが終わったような発言をしている方がいます。「祭りのあと」のようだと言っていたが、本当に、この国は大丈夫でしょうか?


建築の世界でも高齢化社会に対応するように、
 高齢者住宅、俗に言う「バリアフリー住宅」が人気が高いようです。でも良く見ると「バリアフリーのバの字」も判っていないような建物が、以外と多いような気もします。


「バリアフリー」と言うのは、「障害が無い」と言う意味ですが、それは床の段差を無くしたから「OK!」と言う意味ではないと思うのです。廊下や風呂に手摺を設けたから、「バリアフリー住宅の出来あがり!」などと考えている方、それはチョット違うと思うのですけど・・・。確かに、それも大切な事ですが、それは上辺の一部です。それだけでは「バリアの本質」の部分が、何も解決されてはいません。



高齢化社会が進むと、お年寄りが家庭内に孤立する可能性が高くなります。この孤立は、家庭内であってもお年寄りを、病気にする可能性さえ有ります。例えば「痴呆症」もその一つ。何の刺激も与えない環境に置かれた生まれたての赤ちゃんは、知能が発達しないと言います。同じように、外界の情報から隔離されたお年寄りにも、痴呆の症状が現れる事もあると思うのです。


私の祖母も痴呆症でした。長年住みなれた街を離れ、遠い街の高層マンションに引っ越した途端に「痴呆症」になってしまったのです。環境の変化・住みなれた街への郷愁・その他いろいろ原因はあったと思います。でも一番大きいのは、隔離された環境に、閉じ込められた孤独感ではなかったのかと思っています。


また、これだけ核家族化が進めば「お年寄り夫婦」だけで暮らす家も多くなってくる筈。その時に床の段差が有るとか無いとかと言ったレベルの低い話を論じているようでは、「バリアフリー」の設計など到底無理だと断言します。本当に無くさなければいけない「バリア」とは、隣近所と言った、地域との隔たりだと思っているからです。


例えば家の中に人が居るのか居ないのかさえ判らないような家では、お年よりは地域と接する事が出来ません。簡単に言えば、お年寄りが自分たちの家の中に閉じ込められてしまう。それでは、いざ何か有った時に助けを呼ぶ事も、気付いてあげる事も出来ない。これこそが本当の意味で最大の「バリア」なのです。


高齢者が増える時代を迎え、かつその高齢者が自立できる街を作ろうとするのならば、絶対に地域とのコミュニケーションは必要です。別に、近所の人に介護しろと言っているのではありません。一昔前の、野中の一軒家みたいに隔離された「老人ホーム」のような「家」にしては、いけないと言っているのです。



地域の人たちが、気軽に「おばあちゃん~ 良い天気ね~」と、声をかけられるような「開かれた住宅」のあり方が必要なのではないでしょうか?


ちょっとしたコミュニケーションで、お年寄りが救われることも沢山あると思います。だって、孤立しないで済むでしょ?それを、密閉した空間の中で、手摺が有るとか段差が無いと言っているだけでは、本当の意味での「バリア」を取り除いた事には、なっていません。

バリアとは「体の部分」・・・つまりパーツによるサポートと、「心の部分」への配慮された「家」・「街」・「地域」が必要だと考えているのです。


高齢化社会に適応する、本当の意味での「バリアフリー住宅」と呼べるのは、地域と容易に関わる事が出来、干渉したり、されたりする事に配慮された住宅の事だと思います。


その基本的なコンセプトさえ持たずに、部品だけ付けても、それを「バリアフリー住宅」とは呼ばない。
少なくても、私はそう思っています。(今は部品を付けることによって、バリアフリー住宅を名乗っている建物も多いですけどね)


もし子供世帯と同居するニ所帯住宅ならば、その事も充分理解した建物を建てて欲しいと思います。ニ所帯住宅と言えば、必ずと言って良いほど「若い世代」が2階で、お年寄りが1階となっていますが、たまには考えましょうね~!そこの奥さん!「うちの場合は、本当にそれで良いのだろうか?」と。

例えば、若い世代は夜が遅い。深夜までテレビを見たり音楽を聴いたりします。シャワーに、真夜中に入る事も有るでしょう。子供がいれば、当然走り回る事もある。それが2階で良いのか?

阪神淡路の震災のときには、1階が潰れ2階が助かったと言う事実を思い出して頂きたい。


確かに階段を、日に何度も上り下りするのは辛いでしょう。でも、今は車椅子が乗れるほどのホームエレベーターだって、随分安価な物もあります。お年寄りとのニ所帯住宅の場合、金融公庫の割増融資だって受けられるのです。

日当たりの良い2階に、お年寄り世帯に住んでもらうと言う発想だってある筈です。物を固定観念で判断せず、別の角度からも検討する事が大切ですよね。


これは、なにも「お年寄りを2階に」と薦めているのではありません。「隣がそうだから、うちもそう」みたいに考えるのではなく、あくまでも「うちの場合はどうかしら?」と考えて下さいね!と言っているのです。
そこのところを、間違わないで下さいね。

お年寄りにとっての、本当の意味での「バリア」とは何かを、もう少し社会全体で考えてみる必要があると思いませんか?

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