Essay 51 一貫か?分離か?

「一貫か?分離か?」これズバリ、建物の設計と施工のことを言っているのです。日本は、もともとは「設計・施工一環システム」の国でした。


それぞれの町内に棟梁がいて、この棟梁に一声掛ければ、気持ちの良い住みやすい家を造ってくれていた時代があったからです。当然、棟梁が設計します。同じ町内の家ですから、気候・風土・環境や風の向きまで考えて、職人の意地とプライドを掛けた「家」を造ってくれたのです。


こんな棟梁の事ですから、何年経っても自分が手掛けた家が、今どんな状態にあるのかを熟知していて、頃合を見計らって「ちょっと、修繕の手を入れやすか、旦那?」てな具合に、ホーム・ドクターの役まで担ってくれていました。だから街は美しかったし、住みやすかったのです。


ところが時代が変わり、そんな技術を持った棟梁の姿が、一人、また一人と消え始めました。
それは、「技術とプライド」さえもを、連れて消えたのです。結果、後に残ったのは「設計と施工の一貫システム」は楽チンだと言う思い出と、年季を積まずとも大工になれてしまう、安易な施工方法だけだったのです。これを人は「技術革新」と呼び、多いにもてはやします。しかし、それさえもが次の悲劇を、助長するだけのことになりました。それを人は「欠陥住宅」と呼びます。


確かに、「設計・施工」が一貫されているのは便利ですし、それで問題がなければ、ひょっとすると一番良い事なのかもしれません。


でも、現実を良く見て下さい。それで、心底安心して建物が建てられますか?貴方の人生の半分を費やして、そのローンを払い続ける事に喜びを感じられる建物になっていますか?残念ながら、答えはNOです。なぜならば、今は「職人のプライド」よりも、企業の「利益」が勝る時代だからなのです。


しかも、年月は「棟梁」を時代の彼方に連れ去りました。そして、「設計と施工・長期の保守管理までもをこなすプライド」までもを。それでは、どうすれば良いのでしょう?設計のプロ・施工のプロと、分業するしか無いでしょう?前にも書きました。法律を自分で作って、自分で執行してはいけないのです。違いますか?そんな都合の良い法律に、自分の大切な家族や命を預けられないでしょう?


建物も同じなのです。設計する行為と、施工する行為、そして監理する行為を分けなければ、自分の家族と財産を守れないという事なのです。


この話、私が知人とした話です。「昔は、棟梁が一人でしていて・・・」と。私も、その頃に生まれていれば、間違い無く棟梁になっていたでしょう。厳しい修行を重ねた上で、町内で信用される棟梁にね。


でも、今の時代に生きているのですから、そんな無い物ねだりをしていても仕方有りません。ならば夢・幻を追っていては、いけないのです。


設計者は「棟梁」の、半分の勤めを果たしましょう。考える「設計行為」と、自分の考えた通りに、正しく建てられているかをチェックする「監理者」に。


家を建てようとする皆さんは、もう一度だけ考えて下さい。
「私の家は設計・施工一貫で良いのか?あるいは分離した方が良いのか?」を。

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