Essay 179 二世代が五感で楽しむ浴室への誘い

 日本人ほどお風呂の好きな民族は、世界の中でも類を見ない。毎日の疲れは、ゆっくりと風呂に浸かることで取りたいと思い、たまの旅行には温泉に行きたいと考える。「ハレ」も「ケ」も入浴で癒されたいと願い、家族や友人とのコミュニケーションでさえ、お風呂で取ろうとする。シャワーさえあれば汗を流せると考える外国人とは、根本的に「入浴」に対する捉え方が違うのだろう。そんな日本人の風呂好きの理由には、日本の気候と文化が関係していると言われている。


 日本はご存知の通り、高温多湿の気候が特長である。夏の暑さは湿度を伴い、蒸し蒸しとした不快な暑さは、とても凌ぎにくい。湿度を伴わないカラッとした暑さなら耐えられても、そこに湿度が加わると苦痛になる。体中に汗をかき、そのベタベタ感が、さらに不快感を増していく。シャワーで体の表面を洗い流すだけでは足りず、毛穴の中から汗と汚れを取り去りたいと考える。ゆっくりと湯船に浸かり、体中の筋肉を弛緩させながら、汗と汚れを拭い去りたいと思うのことは、当然といえば当然のことだ。


 そして冬。あれほど暑かった夏が嘘のように気温が下がり、乾燥した空気は肌の水分まで奪い去る。
そんな冬の時期に体の新から温まりたいと、またゆっくりと湯船に浸かる。四季という季節の楽しみがある国だからこそ、湯船に浸かると言う習慣が生まれたと言っても良いのだろう。そんな気候の日本だが、昔から自分の家に風呂があったわけではない。江戸時代まで遡らなくても、ほんの数十年前の昭和の時代でも、自分の家に風呂が無い家はたくさんあった。だから「銭湯」と言う場所が大切だったのです。銭湯とは体を清潔にする為の場所という他に、地域のコミュニケーションの場でもあった。体を洗いながら、今日一日の話をする場所だったのです。仕事の話や家庭のこと、近所の噂話から野球の結果までが話題になる。今のように携帯電話やパソコンが無かった時代には、この場所で情報交換をすることがとても大切で、そして楽しみでもあった。そしてそれは地域の防犯や防災に繋がる、大切なコミュニティの場でもあった。しかし月日は流れ、それぞれの家庭に「風呂」を設ける時代がやってくる。それは大きな持ち家だけの話ではなく、小さなアパートの一部屋でも、風呂を設けることが当たり前に。考え方が変わってきたのだ。


 それほど大切な「浴室」の筈なのになの、家を建てるときには、なぜか後回しにされているような気がするのは、私の気のせいだろうか?設計の際に言われるのは、「掃除がし易くて、手足が伸ばせれば良い」程度のご希望しか耳にしない。稀に「浴室を開放的にし、家の中で一番良い場所にして欲しい」等と言われる方が居ないでもないが、まぁホントに稀な話である。


 「家が狭いのに風呂ばかりを広く出来るか!」などと憤慨される方も居るかも知れないが、「別に風呂を銭湯のように広くするべし」などと言っているのではない。狭くて小さな風呂でも、そこにほんの少しだけ気を使うだけで、風呂は今より何倍も快適な場所になるのに勿体無い、と言っているのである。


 ではどんなふうに風呂に対して気を使うのか?それも実は難しく無い。五感を有効に使うだけで、風呂は楽しく癒される場所に変わっていく。視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚という五感をフルに利用し活用することで、貴方の家の風呂はワンランク上の浴室になる。


その具体的な考え方を、次回以降にご説明したいと思います。

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