Diary 2002年1月16日

もう15年ぐらい前だろうか・・・私がまだ、前の事務所に勤めている頃、しかもバブル景気に成りかかっていた頃の話だ。その頃、もう祖母は大阪の叔父の家に引き取られていた。慣れ親しんだ土地から、一人見知らぬ土地へ行った祖母とは何年も会わなくなってしまっていた。

そんな祖母が危篤だという知らせを受けたのは、どうしても手が離せない改修工事の設計の真っ最中だった。積算をしていた私は、その仕事を放り出して行く事が出来なかった。

徹夜を続け、仕事が終わったのは知らせを受けた翌々日。当然、祖母の死に目には会えなかった。10歳も離れている甥っ子に「命より大事な仕事が有るのか!」と、直ぐに駆けつけられなかった私は責められた事を今でも忘れない。

人の命よりも大事な仕事なんか何処にも無いのさ・・・・・今は当たり前のように思える事も、当時のガキの自分には解らなかった。いや、解りすぎるほど解っていたのだが、どうしようもなかったのかもしれない。

今、設計の仕事を手伝って貰っている人の、奥さんが亡くなったのは14日の昼だった。打ち合わせに行くと、いつも羊羹や煎餅を出してくれる愛想の良い方だった。彼が仕事に出かける時には必ずと言って良いほど、車の助手席にチョコンと座っていた仲の良い夫婦だったのに・・・。2年以上の闘病生活・・・・・残念です。


合掌
 

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