Diary 2005年1月10日

小田原は今日が成人式の式典みたいだ。
新聞の投書欄に「成人式典は大人としての自覚を持つ場であって、その自覚が持てないような行動を起こすのであれば、税金を使っての式典は無駄であり、その費用を地域の為に有効に活用するべきである」と書いてあった。この投書をしたのは14歳の女子中学生だと言う事にチョッと驚き。


そろそろ本当に成人式典の必要性や、その形式・形体に変革を求める時期だと思う。
今年も問題がいろいろと起こっている。「問題を起こす奴がバカ」と切り捨てるのは簡単だけど、式典実行者の側だって、もういい加減分かっている筈。それなのに旧態依然の形式に固執し、警備員の数を増やす事で問題を回避しようとする愚策を取るのは何故?

現実のニーズに即した有り方や、その意味を問うべきこそが本当の解決策であり、愚行を行う未熟な力を、大人の力、あるいは警察の力で押さえ込むと言う発想は、まさに「力を力で押さえ込む発想」・・・・・・・・・・それって正しいか?
問題の本質を論じずに、見えている問題だけに対処するのは、賢い大人の対処法では無いと思うが如何なものか?


下らん大人の形式主義が、面白いか否かは誰もが経験してないだろうか?
子供の頃の卒業式や入学式で、初めて見るような議員が出てきて、面白くも無い話を等々と喋り続け、欠伸を噛み殺した経験がないだろうか?しかも主役の子供に話し掛けるのではなく、その傍にいる保護者に話し掛けているかのような内容を苦々しく思ったことが無いだろうか?そんな話聞いてて面白いか?大人になるために役に立つか?
騒ぐガキもバカだけど、そんな式典しか出来ない大人も、決して賢い大人の見本だとは思えない。

今日も日本中で成人式の式典が行われると思う。
その時に大人が考えるのは「騒ぎが起きなきゃ良いけどねぇ・・・」と言う祈りだけなのだろうか?
そんな1月10日を、あと何年迎え続けるのだろうか?それの方が怖い気がする。

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