障子の家


「障子」と「扉」の違いとは、開き方や材質の違いではなく、思い遣りと礼儀の違いだと思う。
例えば、一度バタンと閉めてしまえば、「隣の部屋は何する人ぞ?」と言った具合に、プライベート空間が出来上がるのが「扉」。例え閉めていても、気配や影を感じるのが「障子」。勿論、どちらにも一長一短がある。

でも、どちらが好きかと聞かれれば、「障子」と答える。ただ残念ながら、それを生活の中に取り込むことが出来ないので、「扉」で我慢しているだけの事。

D-BOX 障子

ところが最近は、「我慢をする」とか「受け入れる」と言う事を、良しとしない方が多いように思う。日常生活の中で道を譲ってみたり、扉を開けておいてあげたり、目の前に落ちているゴミを拾ってみたりと言った、些細な事をしない。それをする事がまるで、自分の損になるかのように。

我慢もしなければ妥協もしないし、一歩引くこともしなければ、違う角度から物事を見直すこともしない。常にワンサイドの思考ベクトルで、常に自分が最優先。そう言う物の考え方・見方・捉え方をしていると、街で人と肩が触れた瞬間に、永年捜し求めた親の敵を見つけたように、敵意丸出しの攻撃モードに入る人が居る。それはあたかも「共存する」より「個を主張」するかのように。

家と言う個の空間の中で、家族と言う自分以外の人間に対する配慮やマナー、思い遣りや礼儀を学べた障子の家。今一度、造ってみたいと思う今日この頃・・・・。

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コメント(2)

take (2008年6月23日 20:45)

私も障子と襖の、なんとも微妙な距離感が好きです。
そういう家で育ってきたせいか、今の住まい(マンション)で家族が自室の扉を閉めてしまうと、けっこう寂しく感じます。

探偵長 (2008年6月24日 09:24)

そうそう!「距離感」と言うのは、良い表現ですね。
届きそうで届かない距離、届かせてはいけない距離、その距離には他者への配慮や気遣いが込められている。

それを上手に取り入れる事が出来れば、寂しさは、優しさに変わるのかもしれませんね。

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