「流しそうめん」と「えなじーのかけら」

 
先週末の土曜日、小田原市風祭にあるIpadaガラス工房さんで流しそうめんの催しがあり、遊びに行って来ました。下の写真は素麺を流す前の様子ですが、Ipadaさんのブログには、製作過程が載っていて面白いです。 食べるだけで製作段階を手伝わずに、大変失礼いたしました。
でも楽しかったし、美味しかったです。
流し素麺
ちなみに黒っぽいシャツを着ている後姿の男性は、一昨年御自宅の設計をさせて頂いた、小田原市「風祭の家」のクライアントのA氏。どうやら今回のイベントは、A氏の「流しそうめん食べたい!」の一言から始まった話と言う噂もあるが、さてどうなのか?

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当日は20人以上の方が居て、職業も年齢層もバラバラ。
でも、それが面白かったです。

人の距離感て、面白いですよね。
たとえば会社の同僚は一日の大部分を一緒に過ごすから、なんでも分かるけど、分かり過ぎると、会話が同じネタばかりになってしまうことってある。それが楽しくクリエィティヴな会話ならいいけど、ともすると愚痴になりかねない。そこでガスを抜くのは大切だけで、まいどまいど愚痴が酒の肴じゃ、ちと辛い。おなじ飲むなら楽しく飲みたいのは人情。

ふだん、一人で閉じ篭って仕事をしている身としては、こういう集まりって凄くありがたいです。
また呼んでね~(・・・と、ここで言う/笑)

流しそうめんとは全く関係ないけど、ガラス工房だから、こんなガラスの欠片があります。
勿論、作品も沢山並んでいるし、材料となる素材も沢山並んでいるのですが、なんだかこういう破片と言うか、欠片と言うか残骸と言うか、そんな物に惹かれてしまいます。 
えなじーのかけら
写真の欠片が本当はなんなのかは知りませんが、バケツに入れられた同じように物が、3つ4つありました。たぶん、作品を製作している過程で出た、バリのような物かと思ったのですが、ここにエナジーを感じます。

きっと一つの作品を作り上げていく過程で、どうしても出てしまう欠片や余分な物。でもそれが無いと作品として、形を成さないような物なのじゃないかと思ったのです。そう思ってみていたら、これら欠片の一つ一つが、「創作意欲の欠片」に見えたのです。

物を作るときには、無駄と思われる物が出るものです。でも本当は、それは無駄な物じゃなくて、無くてはならない物。ただ、評価されないと言うだけ。そう言う物に惹かれます。


天工舎一級建築事務所
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