「はだしのゲン」を連載で読んでいた


広島では第65回目の原爆の日を迎えた。
米国駐日大使が初めて式典に参加し、国連事務総長も世界平和をアピールするために参加する。
そしてそれ自体が話題になる。

時の流れが傷を癒すように、ともすれば薄れゆく忌まわしき記憶の中で、その日がまるで無かったかのようになってしまわぬようにする為に、後世の人は何をすれば良いのだろうと思ってしまう。

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私の祖母も広島で被爆した。
もう何十年も前に他界したが、その日の話を口にすることは、あまり無かった。
だから詳しいことは、ほとんど知らない。


漫画『はだしのゲン』が、少年誌のジャンプで連載され始めた頃、私は熱心な購読者だった。
当時は異色な漫画が顔を揃え、なんとも言えぬ奇妙な取り合わせだったのがジャンプだった。

「アストロ球団」は、体にボール型の痣を持つ9人が集まりチームを作る、野球版里見八犬伝。
「トイレット博士」は、ウンチの色や形が体調を管理するバロメーターだと、ギャグ満載で語っていた。
「荒野の少年イサム」は、なぜか西部劇で、早打ちの練習やテンガロンハットと言う言葉も覚えた。
そんな中に登場したのが、「はだしの少年ゲン」だった。

戦争の悲惨、貧困ながら慎ましく生きる家族、突然の閃光と灼熱の一瞬、家族の死、友の死、それはそれは、子供の読む漫画雑誌に、こんなに悲惨な漫画を連載して良いのかと思いながらも、一度読み始めたら、もう止めることが出来ないほど強烈な内容だった。

ふだん漫画など見向きもしない祖母が、その漫画を黙ってみている光景を、一度だけ見かけた。
その時は何も感じなかったのだが、、あの時いったいどんな思いでその漫画を眺めていたのだろう。

人の心の中など、誰も計り知ることは出来ない。
人の痛みもまた、誰も計り知ることは出来ないのかもしれない。
だからこそ、人を思いやる優しさが必要なのでしょう。

第65回、広島原爆の日です。

 
天工舎一級建築事務所
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