広島 被爆から77年目の原爆の日

広島は原爆の日を迎えています。ずっと昔に他界した祖母が、当時広島に居たと呟いたことを覚えています。私はまだ子供だったし、祖母は独り言のようにポツリと呟いただけだったので、ひょっとすると私の勘違いだったのかもしれません。それ以降、その話には触れませんでしたし、今はもうその話を聞くことか出来る身内は誰もいないので、本当のところは分かりません。ですが、なんとなく広島の原爆のには、祖母を思い出します。

記憶は薄れていくものですし、伝承する人も居なくなっていきます。原爆の恐ろしさを知る人が居るうちに、原爆や戦争も無くなっていくものだと、朧気ながら思っていた時代もありましたが、それも今は昔。9日には長崎原爆の日を迎えます。

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コメント(2)

ベティ (2022年8月 7日 07:07)

私の父方の祖母は被爆手帳を持っていました。祖父は別府で皇室の方がお泊まりになるような宿の板長をやるほどの腕の良い板前でしたが、次々に新しい妻を迎えました。私の母とそう年が変わらないほどの方で、それで私には同い年のおばさんができ、姉妹のように仲良くしましたが彼女は被爆2世のせいか?病気がちで、今もずっと体調不良が続いています。
父は戦争中海軍中尉でペナンにいました。沖縄決戦(特攻)の命がくだり出撃、機が整備不良のためベトナムのジャングルに墜落し瀕死の重傷を負い、最後の病院船に乗せられ舞鶴に戻りました。おかげで私はこの世に生を受けました。死に遅れたという思いはいつも父の中にあり、多くを語る人ではありませんでしたが、私は自分のためにもインタビューし父の戦争を書き残しました。
8月が来るといろんなことを思います。21世紀は戦争のない世紀と願っていたのですが…人々の人生を否応無しに捻じ曲げてしまう戦争は心から反対です。

天工舎一級建築士事務所 (2022年8月 9日 09:25)

自分たちの上の世代、その上の世代、さらに上の世代と遡れば、今とは違う厳しい時代の中を懸命に生きて来られた歴史があります。まさに命を懸けた歴史の上に、自分たちの今があることを忘れずに生きたいと思うのですが、いつの間にか記憶は薄れ、痛みは薄れ、流された血も薄れていくのでしょうね。今日は長崎の原爆の日です。静かに鎮魂の時を過ごしたいと思っています。

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