夏休みに一冊の本を

この時期になると、書店に所狭しと「夏休みの課題図書」が並んでいます。試しに何冊かをパラパラと捲ってみました。今の子供たちにとって、読みたくなる面白い本だと良いのですが、さすがに私には今ひとつピンと来ませんでした。でも夏休みの課題図書と言う響きに触発されて、ふだんは手にしない本を二冊購入しました。一冊は岩波文庫の『萩原朔太郎詩集』。もう一冊は新潮文庫の『ブレーメンの音楽師―グリム童話集 III』。どちらも私にとっての「夏休み課題図書」です。ま、この他にもミステリ本や、ミステリ本を紹介している杉江松恋さんの本とかも購入していますが、これは「課題図書」ではなく、ただの趣味の本。

ふと考えてみたのですが、私、小学校の頃に読書感想文を書いた記憶がありません。たぶん書いて提出していると思うし、それらの課題本も読んでいると思うのですが、どんな本だったのかを覚えていません。でも、それじゃあ本当はダメですよね。そんなダメな経験をしたから思うのですが、子供は夏休みと言う長い時間の中で、たった一冊でいいから、その夏が大人になっても記憶に残るような本を読むべきだと思っています。

その本が面白いと記憶に残ることがベストですが、反対につまらなかったという記憶でも良いと思っています。自発的に手に取った一冊が、たった10ページ読んだだけで「ダメだ、つまらない、もう読めない」という記憶でも良いです。何がつまらなかったのか、なんで読むことを止めたのか、ではなぜその本を手にしたのかをしっかりと理解し、違うときに違う本を読んでも良いし、大人になってからあの時に挫折した本を読み返しても良い。そうしたらきっとあの時のことを思い出すかもしれないし、今だから読めた感動を味わえるかもしれない。本て、そういう物だと思っています。

ちなみに私が小6の夏に一度は手にして、直ぐに挫折した本が二冊あります。一冊はドストエフスキーの『罪と罰』。これは5ページも読めませんでした。もう一冊はトルストイの『戦争と平和』。こっちも同じ程度で挫折しています。後年、大人になってから読み直しましたが、さすがに小学生には無理だったな~というのが最初の感想でした。なんでそんな本に手を出したかと言うと、家にあったんですよ本が。「世界文学全集」「日本文学全集」の二つのシリーズが、でっかい本棚の中にギッシリと納まっていたのです。つまり身近にあったから手にしたという、なんとも安直な理由なんです。

でも本は手に取れるところにある物に手を伸ばす、そうしたら思いのほかに面白くてのめり込む、そんな入り方が理想だと思っています。だから小さなお子さんが居る家の設計を依頼されると、共用部に本棚を作るように心掛けています。けして大きくなくて良いのです。文庫本か親書か、あるいは漫画のコミックが並べられれば十分です。親が読んだコミックや文庫が並んでいて、その隣には子供が読んだコミックも並んでいる。親が子のコミックを手に取り、子供が親の読んだ文庫に手を伸ばす。そこから何かが始まるかもしれないじゃないですか、本はコミュニケーションのツールでもあるんですよ。

私はミステリやSFの他に、詩集や哲学書を読んでいた時代もありました。絵本を集めていた時もありました。数えきれないほどのコミックがありました。今では覚えていないそんな本の数々が、私を作っています。たくさん読まなくても良い、たった一冊でいい、自分だけの大切な一冊に出会える夏になることを祈っています。

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