『建築トリック謎解きガイド』が出来るまでのお話

それは一通のメールから始まりました。

メールの差出人は、エクスナレッジの書籍編集部・編集者のO氏。そこには「ミステリ×建築をテーマとした執筆依頼の御相談」と書かれていました。

エクスナレッジと言えば、『建築知識』や『ビルダーズ』など、建築の専門誌を数多く手掛けている出版社です。その出版社が、建築とミステリを関連させた本を作りたいという。

「これは面白そう」――それがメールを読んだときの最初の印象でした。とにかく面白そうなことには目が無い性質(たち)なので。

最初の企画イメージは、洋の東西を問わずミステリ小説の中で建築が印象的な作品を取り上げ、図面やイラストを交えながら建物の外観・内観・間取りなどを解説し、物語の中で建築が果たす役割や魅力を語るというものでした。例えるならば、拙著『犯行現場の作り方』を、もっと深く、もう少し分かりやすくしたような本だと理解しました。

建築を知っている人にはミステリの面白さを、ミステリ好きには建築の面白さを知ってもらいたい。ただし、作品に対して下品なツッコミを入れて揶揄するのではなく、作品への愛情を持って建築的に読み解く。凄く端折って言えば、そんな企画だったのです。

これが、2022年9月下旬のことでした。

膨れ上がるリストと、幻の「試作原稿」

その後、電話やメールで打ち合わせを重ね、執筆をお引き受けすることになりました。しかし、ここからがなかなか大変な作業となります。

取り上げる作品は、ある程度知られているものでなければ読者の興味を引きません。ところが著名な作品はすでに映像化されていたり、他の解説本が出版されていたりもします。そして何より、作家さんの了解をいつ取るのかという問題がありました。

先に許可をいただくのか、それとも原稿を書き上げてから見ていただくのか。もし書いた後で「これはちょっと……」となれば全部書き直しです。「さて、どうする?」そんな話し合いが続きました。

候補となる作家や作品を挙げていくと、2022年11月にはリストが800冊を超えていました。そこから作品を絞り込み、最終的に19名の作家とその作品が候補として決まりました。

この頃には、

  • ミステリ建築あるある
  • 本当にあるミステリっぽい建築
  • 建築家がミステリ建築を見る視点
  • 隠し部屋って、本当につくれるの?

といった企画内容も検討されており、仮タイトルは『ミステリの建築図鑑』。今振り返ると、この頃からすでに最初に考えていた本とは少しずつ違う方向へ動き始めていたのです。

実はここだけの話ですが、2022年12月に試しに一本原稿を書いています。私がどんな感じの原稿を書くのか、ミステリを題材にどの項目を建築的に切り取り、どう解析していくのかを編集部が確認するためのものでした。

題材にしたのは甲賀三郎氏の『蜘蛛』。原稿用紙7枚程度の短いものでしたが、作中に登場する塔の高さや階段の段数から長さを計測し、実際の大きさをイメージできるまで、数字で解析してみました。(『蜘蛛』↗ は青空文庫で読めるのでリンクを貼りました)

この文章は『建築知識』にも掲載されていませんし、『建築トリック謎解きガイド』にも収録されていません。いつかどこかで公開するかもしれませんので、その節にはまたお付き合いいただければ幸いです。

「ミステリあるある」を建築士が本気で考える

2023年に入り、作家への許諾問題を出版社が検討している間に、企画そのものも少しずつ姿を変えていきました。

  • 建築用語とミステリ用語を組み合わせたもの
  • 建築史とミステリ史の対比
  • ミステリに登場する様々な仕掛けを、実際に建築として実現できるのか検証するもの

そして最終的にたどり着いたのが、「ミステリの建築あるあるを設計者が本気で考えてみた」という企画でした。

隠し扉、秘密の通路、窓のない部屋――。ミステリ好きなら一度くらいは見たことのある建築や仕掛けを、本当に日本の建築基準法や構造の中で実現できるのか。それを建築士として真面目に考えてみる。

「これなら面白いかもしれない」――ようやく、書くべき軸が見えてきました。

こうして『建築知識』での1年間の連載が決まり、最初の原稿として『窓のない部屋』を書き上げました。

私が原稿を書き、編集者が校正を加える。内容や文字数、レイアウトを調整し、それをもとにイラストレーターさんが絵を描く。ラフが上がれば編集者と私で確認し、修正を重ねて仕上げていく。一つの話を完成させるのに、3回、4回、時には5回ほど書き直しました。

当初は12話(1年間)の予定でしたが、どうしても書きたい項目があり全13話に拡大。『建築知識2025年1月号』から始まった連載は、2026年1月号で無事に一区切りを迎えました。途中、私自身が体調を崩した時期もありましたが、なんとか一度も原稿を落とすことなく完走することができました。

一冊の本になって感じたこと

しかし、ここからがもう一仕事でした。

連載原稿だけでは一冊の本として少しボリュームが足りないため、単行本用の加筆原稿を書くことになったのです。

実は、私には最初から書きたかったことがありました。『建築知識』という専門誌の中では「ミステリ小説が大好きです!」という熱量を前面に出しすぎるのも少し違う気がして連載では抑えていたのですが、単行本化にあたり、かなり自由に書かせていただきました。

中でも最終話の『建築が生むミステリ、ミステリが描いた建築』は、これだけで一冊の本を書きたかったほどのテーマです。もっと建築にもミステリにも深く濃く掘り下げたかったというのが本音です。

すべての原稿を書き上げ、本という形になって書店に並んでいるのを見たときには、胸に迫るものがありました。一通のメールから始まった話が、3年以上の時間をかけて一冊の本になったのですから。

編集者さん、イラストレーターさん、校正の方、印刷や製本に携わった方々、そして営業さん。一冊の本の背景には、本当に多くのプロフェッショナルの手がありました。書店で自分の本を手にとったとき、その重みを改めて実感しました。

そして、次なる物語へ

出版から5か月近くが経ちましたが、今でも建築とミステリについて、もう少し続けて書いておきたいと感じています。

建築とミステリは、案外相性がいい。

いや、相性がいいというより、お互いが刺激し合うことで、まだ見たことのない建築や新しいミステリが生まれるのではないか――そんな予感すらしています。

というわけで……ここから少しずつ、「建築怪異ファイル 第二章」を書いていこうと思います。

『建築トリック謎解きガイド』の直接の続きというよりは、あの本を書き上げたことで、また新しく書きたくなってしまったものです。

よろしければ、もう少しお付き合いください。

『建築怪異ファイル 第二章』は、来週の16日金曜日から公開します。

 


 

安井俊夫|天工舎一級建築士事務所
一級建築士・『建築トリック謎解きガイド』著者。建築や暮らし、本について日々感じたことを書いています。