道徳教育の大切さ

良い大学に入ったからと言って、けして優秀な人だと言うことはありません。年齢を重ねられた方だからと言って、その方の考え方が絶対に正しいわけでもありません。有名な会社に勤められているからと言って、常識のある立派な大人だと言うわけでもないのです。それらはすべて、その人が生きて来た過程を表しているだけで、その人物の評価は本人ではなく他者が決めるものです。そしてその際には学歴も経験も地位も関係なく、ただ目の前の人物の発言と行動が評価のすべてなのです。

神戸大学と言う旧帝に並ぶほどの高い学力の学生が、宿泊先の旅館で大暴れをして、施設内の各所を破壊し、備品を盗み、その様子をSNSに投稿すると言う事件がありました。神戸大学の入学試験を突破するだけの知識はあったようですが、それ以外の知識は幼稚園児並みだったという話でしょうか。それら犯罪の証拠写真・動画を自分たちで撮影し、全世界に公開するという承認欲求の強さは、オジサンには理解できません。デジタル・タトゥーと言う言葉を知らないわけでも、無いと思うのですが。

こんな大人子供(身体は大人、頭脳は子供の逆コナン君)が、数年後には社会に出て、澄まし顔で何処かの企業で働くのだとすれば、この国の未来を暗くしているのは、歳取ったオジサン・オバサンのせいばかりではなく、紛れもなく自分たち若者世代のせいだということを自覚する必要があると思います。

常識が無いと言う話で言えば、私の元に建築関係の相談を寄こされる方も、大概常識の無い方は少なくありません。例えば「こんな計画を考えているのだが、現実的に可能か教えて欲しい」という質問が届くことがあります。こちらも専門家として、上っ面の情報だけでは正確な回答が出来ないため、「もう少し詳細な情報を下さい。場合に拠っては資料を持参し、お話を伺った方がより早く、より正確に回答できますよ」と、回答すると、「行ける日の予定を調整します」と、返信が来たきりで連絡が途絶えてしまいます。

別に取って食いませんし、こちらも仕事の依頼が重なっているので、しつこく営業することもないのですが、よほど人間不信の方なのか、それともスマホの向こうにいるのは「人間」ではないので礼を失しても、なんら問題は無いと思われているのか。こちらも生身の人間なので、一方的に相談された上で失礼な態度を取られると、あまり気持ちが良くないのですが、そこら辺りを配慮する必要も無いということなのかもしれませんね。

どんなことにもルールがあります。大学生で合法的に酒が呑める年齢だとすれば、遣って良い行いとイケナイことがあることぐらいは、認識されていると思います。それを「大人」と呼びます。

今は18歳を新成人と呼び、大人として社会に迎え入れる時代です。したがって大人としての自覚を持ち、自分の行動には責任を取るべきだと思います。その考え方は、これから死ぬまでのすべての行動に伴います。誰も見ていないから、誰にも聞かれなかったから、誰にもバレなかったら、まぁいいや! と、逃げてしまう人のことを卑怯者と呼びます。そして昔の人は、こう言いました「人が見ていなくても、お天道様が見ている。今に罰が当たる」と。

八百万の神様を信じる神道の国・日本においては、そういう教えがあることを親は子に教える必要があると、令和の今、あらためて思います。学校の授業が多様化し、詰め込み教育全盛の時代ですが、その余波で削られていく「道徳教育」こそが、人としての自覚と誇りや優しさ、行いの基礎となるのかもしれません。

もっとも基本的な道徳は学校ではなく、家で教えるものです。幼い頃からタブレットで勉強させることも大切ですが、それ以上に人に会ったら「こんにちは」と挨拶をし、食事の際には「いただきます」と言い、食べ終われば「ごちそうさまでした」を、当たり前のように言えることこそが何よりも大切です。仕事柄、クライアントがお子様を連れてくることは少なくありませんが、私は意外とそういうところを見てしまいます。なぜって「子は親を映す鏡」なので。

神戸大学の学生は心から反省し、誠心誠意の「ごめんなさい」が、言えるでしょうか。それが一番大切なことだと思っています。

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