茨木のり子『廃屋』から

茨木のり子の詩の話を、もう一つだけ

『廃屋』という詩がある

人が家に棲まなくなると、家は荒れ、草木は生い茂り、湿気にあふれていく

人が家に棲むということは、絶えず何者かと、果敢に戦っていることかもしれぬ

要約すればそんなことが書かれている

仕事柄のせいか、齢のせいか、心底刺さる詩である

家は人を守る砦であり、舞台であり、器である

だけど同時に、人もまた家を守り、整え、手を入れ続けなくてはならない

つまり一方が他方に全てをゆだねることが出来ない共存関係

以前読んだ本に、産まれたばかりの赤ん坊を

真っ白で楕円形の部屋で育てると

外界からの刺激を受けることが出来ずに精神に支障をきたすと書かれていた

実証したわけでもなかろうにと思ったがなぜか腑に落ちた

床や壁や天井という概念も無い楕円形の真っ白な空間

想像すると近未来的なイメージも思い浮かぶが、同時に狂気の雰囲気も感じる

人は家から受ける刺激で生きている

好きな家具、好きな壁、好きな本、好きな灯り、好きな色、好きな音

それは外界からの刺激も含まれるはず

窓から差し込む朝陽の直線、風で揺らぐ樹の葉、雨の音、土の匂い、道行く人の視線、声

ともすれば不快だと感じる物もあるが、それも含めての刺激であり、生きている証

人が住まなくなった家は、家人の喜怒哀楽といった感情が消え、体温が消え、呼吸が消え

声が消え、命が消える

家の命は、人の命と繋がっているのだろう

そう思わせてくれた詩『廃屋』


安井俊夫|天工舎一級建築士事務所
一級建築士・『建築トリック謎解きガイド』著者。建築や暮らし、本について日々感じたことを書いています。