人の家を訪ねると、玄関を開けた瞬間に「その家の匂い」を感じることがあります。
居間でお茶をいただいている時もそうですし、トイレを借りた時に感じることもあります。もちろん悪い意味ばかりではありません。木の香りが心地よい家もあれば、どこか懐かしさを感じる家もあります。
しかし不思議なことに、その家に住んでいる人自身は、そうした匂いに気付いていないことが少なくありません。人は毎日同じ環境にいると、その匂いに慣れてしまうからです。
だからこそ、「匂い」に関しては設計段階で見落とされやすい要素なのかもしれません。
前回のコラムで、家の中の「音」は図面に描かれないとお話ししましたが、匂いもまた同じです。しかも匂いの問題は音の問題とよく似た構造を持っています。
それは「匂う」という物理的な事実よりも、「気になる」という心理的な不快感こそが、家族の距離感に静かな影を落としてしまうからです。
家の匂いは、一つの原因では生まれない
家の匂いは、一つの原因だけで生まれるものではありません。玄関には外から持ち込まれた雨や土の匂いがあります。台所には料理の匂いがあり、洗濯物やペットの匂いもあるでしょう。
そこに家族それぞれの体臭も加わります。思春期特有の匂いを発する子供がいるかもしれませんし、年齢を重ねた親の加齢臭が気になることもあるでしょう。
そうした様々な要素が重なり合い、その家だけの匂いを形づくっています。
そして厄介なのは、匂いの問題が家族だからこそ言いにくいことです。
「洗濯物が少し臭うよ」
「部屋の匂いが気になるね」
「最近少し加齢臭がするかも」
そう感じたとしても、相手を傷付けるかもしれないと思うと、なかなか口にはできません。
だから匂いの問題は表面化しにくく、誰かが配慮し、我慢しながら暮らしていることも少なくないのです。
設計で考えたいのは「空気の流れ」
匂いの流れ、つまり空気の流れを考えたいのです。最近では高気密・高断熱住宅が注目されているため、第一種換気が採用される家も増えています。
しかし第一種換気さえ設置していれば、家の匂いの問題がすべて解決されるわけではありません。給気口や排気口の位置が適切でなければ、空気は思うように流れず、匂いが滞留する場所も生まれます。
換気設備はあくまでも快適な環境を維持するための道具です。大切なのはカタログ上のスペックに頼ることではなく、家の中を空気がどのように流れていくのかを間取りとともに考えることだと思います。
それは単に匂いを消すためではなく、家族の小さなストレスを減らすための工夫でもあるのです。
家の匂いは必ずしも悪者ではありません
誤解を恐れずに書きますが、私は家の匂いすべてが悪者だとは思っていません。
たとえば実家を離れて暮らしている人が、久しぶりに帰省した時に、玄関の扉を開けた瞬間、
「ああ、帰ってきたな」
と感じることがあります。それは目に見える家具や間取りだけが理由ではありません。子供の頃から慣れ親しんだ空気や匂いが、記憶を呼び起こしているのだと思います。
家具の匂いかもしれません。畳の匂いかもしれません。少し埃っぽい空気かもしれません。客観的に見れば決して良い匂いとは言えないかもしれませんが、それでも安心する瞬間があります。家の匂いとは、その家族がその場所で生きてきた時間の上に蓄積された痕跡なのだと思います。
匂いには、たしかに不快なものもあります。だから換気や空気の流れを整えることは大切です。しかし一方で、匂いはその家族が積み重ねてきた時間の記憶でもあります。
住まいを考えるということは、単に匂いを消し去ることではなく、家族が心地よく暮らせる環境を整えながら、その家らしさを育んでいくことなのかもしれません。図面には描かれない「匂い」を想像してみること。それもまた、長く愛せる住まいづくりの大切な一歩なのだと思います。
執筆者:安井 俊夫(天工舎一級建築士事務所 代表)
「自分たち家族は、この先どんなふうに生きていきたいのか」
ご家族の想いを大切にし、時間が流れて変化していく慣れ親しんだ物理的な器としての家づくりを、お手伝いしています。小田原周辺での住宅設計や、日々の積み重ねを大切にした無理のない省エネリフォームなど、住まいに関するご相談は、お気軽にお寄せください。
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