中学生の頃、夜、家から出掛けることが出来たのは、塾へ行く時と本屋さんへ行く時だけでした。
今と違って、子供が夜の街へ出掛ける理由なんて、ほとんど無かった頃の話です。
だから夜の本屋さんで、憧れの女の子とバッタリ出会った時には衝撃を受けました。
衝撃というより、恥ずかしくて照れ臭くて、妙にカッコ付けて話したことを覚えています。
たった一度見掛けただけなのに、「今夜も会えるかもしれない」と期待して、用もないのに何度も本屋さんへ通いました。
不思議なもので、それからも何度か同じ時間に出会い、そのたびに短い話を交わしました。
それだけでとても楽しくて嬉しくて、本屋さんは特別な場所になっていきました。
今思えば、あの頃の私は本を探しに行っていたのか、その子に会いに行っていたのか、自分でもよく分かりません。
けれど、その頃に本屋さんで書棚を眺める面白さを覚えたことも事実です。
なかでもハヤカワのポケットミステリを知ったのは、その頃でした。
漫画の棚を見ている時に話しかけられるより、ポケミスの棚を眺めている時に話しかけられた方がカッコいいと思ったのです。
間違いなく、今で言う中二病です。
しかし、その背伸びのおかげで海外ミステリの世界に足を踏み入れ、その後の読書人生は大きく変わりました。
そう考えると、あの少女との偶然の出会いが、今の私の仕事や趣味にまで少なからず影響しているのかもしれません。
本との出会いも、人との出会いも、ときには人生を少しだけ変えてしまいます。
そして、その出会いは必ずしも目的を持って、訪れるものではありません。
ふらりと立ち寄った書店で見つけた一冊だったり、たまたま同じ時間に同じ場所へ来ていた誰かだったり。
そんな偶然が起きる場所が、町の書店なのだと思います。

今でも書店で本を眺めている時、ふと誰かに話しかけられるような気がすることがあります。
もちろん、そんなことはありません。
それでも、あの頃の記憶がどこかに残っているのでしょう。
新刊の発刊を機に、先日、都内と小田原市内の書店へご挨拶に伺いました。
店内を歩きながら、ふとそんな昔のことを思い出しました。
ネット通販は便利です。欲しい本を確実に手に入れることもできます。
けれど書棚の前で思いもよらない一冊に出会ったり、思いもよらない記憶がよみがえったりすることはありません。
人には忘れられない場所があります。
私にとって町の本屋は、今も変わらず特別な場所なのだと思います。
安井俊夫|天工舎一級建築士事務所
一級建築士・『建築トリック謎解きガイド』著者。建築や暮らし、本について日々感じたことを書いています。