小田原で住宅の設計をしていると、多くの建築主が耐震性能を気にされていることが分かります。
1923年に起きた関東大震災では、震源域に近かった小田原も甚大な被害を受けました。当時の全戸数5,155戸のうち4,572戸が全半壊または焼失し、地震と同時に発生した火災によって、町(当時は小田原市ではなく小田原町でした)の3分の2が焼失したと記録されています。(「おだわらデジタルミュージアム」より)
この関東大震災と同等規模の地震が、いつか再び関東を襲う可能性は否定できません。
そう考えると、住宅の耐震性能に気を使われるのは、これから家を建てる方にとって当然の選択だと言えるでしょう。
建築行為は、それまでに蓄積された技術を具現化する行為なので、耐震性能に優れた建物を造ることはもちろん可能です。
ただ、そこには掛けられる費用と、得られる効果とのバランスがあります。そのため、耐震性能を判断する一つの指標として「耐震等級」という数値が定められています。とはいえ、耐震等級もまた、一つの目安です。
住宅の安全性を考える上で、とても大切な指標ではありますが、数字だけで全ての災害に対する安全が約束されるわけではありません。
そこで今回は、少し「建物=建築」ではない話に、視点を向けてみたいと思います。
災害に向けて、どんな備えをされていますか。
例えば、
- 家具が倒れないように固定する
- テレビの転倒を防ぐ
- 消火器を用意する
- 飲料水や非常食を備蓄する
- 非常持ち出し袋を準備する
といったことを、対策として考えられている方が多いのかもしれません。
大きな地震が起きるたびに、こうした防災対策がメディアでもネットでも、繰り返し紹介されています。
そのどれもが大切なことですし、過去何度もあった大きな災害のたびに報じられている対策ですから、知らない方は、ほとんどいないでしょう。
それでは、なぜ同じ情報を繰り返し伝えているのでしょうか。
きっと、これらの対策を万全な形で実行されている方が少ないからだと思います。
仕事柄、これまで多くの方の家を見てきました。その中で気になることの一つに、家庭に消火器を備えている家が、意外なほど少ないということがあります。
地震が起これば、建物が倒壊するだけではありません。火災が発生する可能性もあります。
「我が家は耐震性能が高いから大丈夫」と考えていても、隣の家から火が出れば、自分の家だけの問題ではなくなります。
隣家が倒壊すれば、その建物が道路を塞ぐかもしれない。外壁や瓦が落ちてくるかもしれない。火災が発生すれば、延焼するかもしれない。
つまり、どれほど自分の家を強くしても、自分の家だけで自然災害に完璧に立ち向かうことはできないと考えています。
なぜなら、街は一軒の家だけで成立しているわけではないからです。
それでも、自分の家の安全性を高めることは大切です。
これを「自助(じじょ)」と捉え、まず自分や家族の身を守るために、自分でできることを実行することが大切なのだと思います。
自助だけでは足りない
ですが、家の集合体が街となるのですから、ひとたび災害が起これば、自分の家だけでは解決できないことも出てきます。
そこには行政による助けや支援が必要になります。
例えば、避難所の開設や運営、被災した道路やライフラインの復旧、倒壊した建物からの人命救助、災害情報の提供、水や食料などの物資の補給などです。
これを「公助(こうじょ)」と呼び、市役所や消防、警察、自衛隊などによる支援を指します。
しかし実際の災害時には、公助の前にもっとも身近で、もっとも早く力を発揮する助け合いがあります。
それが、「共助(きょうじょ)」です。
つまり、「向こう三軒両隣」から始まる地域のコミュニティです。
例えば、地震で家が倒壊した際に、家屋の中に取り残された家族を救出しようと、隣のおじさんに「手を貸してほしい」と頼む。
隣に住む一人暮らしのおばあちゃんの姿が見えないから、「大丈夫ですか」と声を掛ける。
そんな様子を想像することができると思います。
少し広げれば、地域には消防団や自治会もあります。
大きな災害になれば、困っているのは自分だけではありません。
地域全体が同時に被災してしまうのですから。
道路が通れない。
電話もつながらない。
消防や救急も、すぐには来られない。
そんな切迫した状況になれば、最初に動くことができるのは、そこに暮らしている人たちです。
「あの家には高齢のご夫婦が住んでいる」
「あそこには小さな子どもがいる」
「隣の家には一人暮らしの方がいる」
そうしたことを知っているかどうかで、災害時には大きな違いになるのです。
誰が無事なのか。
誰が助けを必要としているのか。
どこで火災が起きているのか。
どの道路が通れるのか。
何処に避難すれば良いのか。
そうした情報を早く知ることができるのは、そこに暮らしている人たちです。
だからこそ、地域防災というものを、もっと身近なところから考える必要があると考えています。
地域防災を支える自治会
その大きな役割を果たす身近な組織の一つが、「自治会」だと思っています。
地域防災というと、消防や防災訓練を思い浮かべる人が多いかもしれません。
しかし、自治会という組織が普段行っていることを見ると、もっと身近な活動をたくさん行っています。
例えば、地域の街灯の管理です。
その電気代や保守管理には自治会費が使われています。街灯があることで夜道が明るくなり、平時の防犯にもつながっています。
ゴミ集積所の清掃や管理もあります。カラスなどによる被害を防ぐネットを設置したり、そのネットを管理したり、周辺を清掃したりするのも、地域の誰かが担っています。
道路周辺の草刈りや、側溝や水路のちょっとした清掃、維持管理などもあります。
地域のお祭りがあれば、その準備や運営にも自治会が関わります。
そこには自治会員だけでなく、地域の子どもたちも遊びに来ます。自治会員である子どもと、そうでない子どもを分けて接するわけではありません。
地域の行事なのですから、そこに暮らす子どもたちには、みんな同じように楽しんでもらう。
こうした活動は、一見すると「防災」とは関係ないように見えます。
でも、本当にそうでしょうか。
地域の人が顔を合わせる。
隣に誰が住んでいるのかを知る。
「あの家には高齢者がいる」と知る。
「あの人は消防団に入っている」と知る。
地域で困っていることを話す。
そうした日常の積み重ねが、いざというときの「共助」につながるのだと思います。
自治会は、災害が起きてから突然できるものではありません。
普段から地域の中で人が顔を合わせ、地域のことを知り、地域のために活動している。
その積み重ねが、いざというときの力になると思っています。
自治会に加入しないということ
もちろん、自治会への加入を強制するものではありません。
仕事が忙しい人もいるでしょう。
共働きで地域活動に参加する時間がない人もいるでしょう。
自治会費を負担することに疑問を持つ人もいるかもしれません。
役員などの役割を担うことが負担だという気持ちも分かります。
だから、加入しないという選択そのものを否定するつもりはありません。
ですが、もう一つ考えてみてほしいことがあります。
自治会に加入していない人も、地域の街灯の恩恵を受けていることを。
ゴミ集積所も利用します。
道路周辺の環境が維持されていれば、その恩恵も受けます。
そして災害が起きれば、自治会や地域の人たちが築いてきた防災体制の恩恵を受けることになるでしょう。
もちろん、人命に関わることですから、災害時に「自治会員ではないから助けません」などということはできませんし、そんなことをするべきではありません。
祭りに遊びに来た子どもを自治会員かどうかで分けないのと同じように、災害時に助けを求めてきた人を、自治会員かどうかで分けることもできません。
だからこそ、考えてしまうのです。
普段は地域との関わりを持たず、地域を支える負担も担わない。でも、災害が起きたときには、地域の人たちが築いてきた仕組みの中で助けてもらいたい。
それで本当にいいのだろうか、と。
加入しない自由があることと、自治会という存在を否定することは、別の話だと思います。
地域のために誰かが負担していることがある。
その負担によって、私たちは平時から街灯やゴミ集積所などの恩恵を受けています。
そして非常時には、その地域のつながりそのものが、自分や家族を助けることになるかもしれません。
地域防災とは、誰かに助けてもらうためだけのものではありません。
誰かに助けてもらうこともあれば、自分が誰かを助けることもある。
それが「共助」なのだと思います。
地域のつながりは、災害のときだけ役に立つものではありません
以前、私の家の近くに住む高齢者の方の家に、飛び込み営業のような人が訪ねて来たことがありました。
「お宅の屋根が壊れているので、今なら安く直します」
という、いわゆるリフォーム詐欺を疑わせるような話です。
その方は、
「近所に建築士さんがいるから、その方と一緒に話を聞きます。出直してください」
と返事をしたそうです。
すると、それ以降、その人が二度と訪ねてくることはありませんでした。
この話を聞いた時、地域のつながりというのは、災害が起きたときだけ役に立つものではないのだなと感じました。
近所に相談できる人がいる。
何か変なことがあったときに、「ちょっと聞いてみよう」と思える人がいる。
それだけでも、詐欺や悪質な営業などから身を守る力になることがあります。
地域のコミュニケーションは、平時の防犯や安全にもつながっています。
そして、平時にできている関係が、災害時にはさらに大きな意味を持つはずです。
そう考えると、自治会活動を単なる「面倒な地域行事」と考えてしまうのは、少し違うのではないかと思っています。
家を建てるということは、その街で暮らすこと
大きな地震が起きると、被災地の映像がテレビやインターネットで繰り返し流れます。
家が倒壊している。
道路が壊れている。
火災が発生している。
避難所に多くの人が集まっている。
その映像を見て、「大変だな」と思う。もちろん、それは自然なことです。
でも、被災地以外に住んでいる私たちが、そこで終わってしまってよいのでしょうか。
災害から学ぶということは、被災した人たちに心を寄せることだけではないと思います。
次に同じことが、自分の住む地域で起きたらどうなるのか。
そこまで考えてみることではないでしょうか。
我が家には消火器があるだろうか。
家具は固定されているだろうか。
飲料水は確保しているだろうか。
避難場所は知っているだろうか。
そして、
隣に誰が住んでいるのか、知っているだろうか。
自治会はどんな活動をしているのか。
地域の防災訓練はいつ行われているのか。
消防団はどんな活動をしているのか。
そうしたことを、一度調べてみてもいいのではないでしょうか。
家づくりでは、耐震性能や断熱性能、間取りや設備など、たくさんのことを考えます。
それはもちろん大切なことです。
私も家を設計する側の立場として、できるだけ安全で快適な家をつくりたいと思っています。
でも、家は一軒だけで成立しているわけではありません。
その家の隣にも家があり、そのまた隣にも家があります。
道路があり、街灯があり、ゴミを捨てる場所があり、水路があり、そこに人が暮らしています。
そして、その一つ一つを誰かが支えているのです。
だから、家を建てるということは、家を一軒建てるだけではありません。
その土地、その地域で暮らし始めることでもあります。
自分の家を強くする。
家庭でできる防災対策をする。
それは「自助」です。
そのうえで、隣人を知る。
地域を知る。
自治会の活動を知る。
災害時にどう助け合うのかを知る。
それが「共助」です。
そして、その両方があってこそ、災害に強い暮らしになるのだと思います。
自治会への加入を強制する話を書いているのではありません。
でも、その存在を否定する前に、自分たちが暮らす街を誰が支えているのか、一度考えてみてほしいとは思います。
あなたのことを、誰かが助けてくれるかもしれません。
同時に、あなたが誰かのことを、助けてあげられるかもしれません。
街は、一軒の家だけでは成立しません。
執筆者:安井 俊夫(天工舎一級建築士事務所 代表)
「自分たち家族は、この先どんなふうに生きていきたいのか」
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