住まいの生理学10(最終回)|図面には描かれない「時間軸」の告白

図面には描かれない人間の「生理」

「住まいの生理学」と題して書き始めたコラムも、この10話を以って一区切りとします。

第1話から住まいにまつわる音、匂い、汚れ、排泄といったキーワードをテーマとして、人間の「生理」に関して書いてきました。それらはハウスメーカーのカタログや、SNSで見かける見栄えの良い画像のどこにも表れていないことばかりでした。

人が家を建てようと思い立つとき、それは人生の中で、仕事や家庭、金銭的にも恵まれた、いわば上り調子の時代にだけ適えることができる一大イベントだと思います。当然、家に抱く夢や希望は満ち溢れ、つい完璧で美しく清潔な箱を思い描くことでしょう。

それはある意味で当然のことですし、その憧れる気持ちこそが、生まれて初めて経験する一大事業を推進する力にもなると思います。

しかし、熱に浮かされるように事業を推し進めていく一方で、冷静な視点を持つ必要があることもお話ししてきました。人は生き物である以上、必ず汚し、匂いを発し、音を立てる存在であることを。

そのことは目の前に提示された設計図面のどこにも描かれてはいませんし、その存在を説明してくれる建築士も、けして多くはないでしょう。だからこそ依頼者であるあなた自身が、その現実をあらかじめ承知していることが大切だと考えています。

「時間軸」を見つめるという設計

40年以上にわたり、これまで設計してきた建物を振り返れば、目を引くデザインや大胆な間取りはなかったと思います。華美な装飾も驚くような仕掛けも造りませんでした。

ただ一つ、40年以上設計を続けてきた中で、私が特に大切にしてきたことがあるとすれば、「住まい手はいつか必ず歳を取り、病になる」という時間軸を、絶えず頭の片隅に置き、常に図面に重ねていたことです。

希望に満ちて家づくりを始める若い家族に対して、「あなたもいつか老い、病気になります」と水を差すことはできません。だからこそ設計者として「今は必要なくても、将来必ず家人の身体を支える手摺」や「踏み外さない階段の形状」を、あえて言葉で語ることなく図面に落とし込もうと努めてきました。それはきっと、私が設計していた物が「未来」という時間にも考慮していらからだと思います。

変化し続ける人生と住まい

子供の勉強する姿を見守るために対面キッチンにしたものの、成長した子供は自室で勉強するようになり、あれほど開放的で好ましいと思っていた家なのに、テレビの音が勉強の邪魔になると気を使う時が来るかもしれません。

さらに時間が経ち子供は思春期を迎え、親に反発するかもしれませんし、二十年後には家を出ていくかもしれません。

子供が独立すれば、また夫婦二人の暮らしになります。そして親は老いていきます。

今は元気な家人も、体調を崩し寝込むこともあるでしょう。あれほど賑やかだった家が静まり返り、狭いと感じていた居間も、二人きりとなった今では持て余すかもしれません。

あの時は想像もしなかった出来事が、当たり前のように訪れます。そしてその多くは、これから考える住まいの中で起きていくのです。

「人生は予想通りには進まないものです」

だからこそ家を設計するときには、いつもその変化を考え、想像していました。

・子供は独立するかもしれないし、しないかもしれない。

・親と同居するかもしれない。

・介護が始まるかもしれない。

・病気になるかもしれない。

・仕事を辞めるかもしれない。

設計当時にはご夫婦の寝室として設えていた部屋が、20年経つと寝室が別々になっているご夫婦は何組もいらっしゃいます。決して仲が悪いわけではなく、お休みになる際のエアコンの設定温度の好みの違いからだそうです。また、二階を中心に暮らしていたご夫婦が、一階の和室を寝室に使うようになった家もあります。

家を建てる際には想像もしていなかったことですが、日常とはそういうことの積み重ねだということを、身を以って知っているからこそ、こうした話を書いています。

 人も歳を重ねるように家も共に歳を重ねる

人が歳を重ねるように、家も一緒に歳を重ねていきます。外壁は傷み、設備は古くなります。しかしそれは寿命ではなく、家が家人と共に重ねた履歴です。家が傷めば手を入れながら住み続ける。人が体調を崩せば病院に行き治療するように、家も様子に合わせて少しずつ直していく必要があるのです。

それを単なる「劣化」と呼び、ただ新しくする(スクラップ&ビルド)のではなく、家族の身体の変化に合わせるように、家という器を「治療」し、労わりながら住み継いでいくことは大切なことだと思っています。

設計者が家を考えるとき、新築した瞬間だけを思い浮かべ、その瞬間の美しさだけを設えてはいけないと思っています。その家で暮らす人が成長し、迷い、老い、病み、それでも生き続ける時間を受け止める器であることが大切だからです。

あらためて振り返ってみると、私が設計していたのは家ではなく、その中で流れる時間だったのかもしれないと、そんなふうに思うことがあります。そして時間とは、家族が変化し続けるという意味でもあります。


『住まいの生理学』と題して書いてきたコラムも、今回の第10話をもって一区切りとさせていただきます。これから家づくりを考えられている方の目に触れて、なにか一つでも心に留めていただくことができたとしたら、設計者冥利に尽きます。

お読みいただき感謝いたします。

ここに書いたことは、あくまでも一つの考え方にすぎません。いえ、一つの思想と言っても良いでしょう。高尚な建築論でも無ければ、説教臭い蘊蓄でもありません。

大切なことは、こうした誰も話してはくれない話の中にこそ、日々の生活の中では大切なことが隠されているかもしれないということを、知っておいて欲しいということです。

そして貴方が家を建てる時、こんな話を語り合える建築士さんと一緒に家を考えることが出来たら、きっとあなたの家づくりは成功に大きく近づくと思います。

もしよろしければ、私にもそのお話を聞かせてください。

まずはあなたの理想の暮らしの夢から、ゆっくりと紐解いていきましょう。では。


執筆者:安井 俊夫(天工舎一級建築士事務所 代表)

「自分たち家族は、この先どんなふうに生きていきたいのか」

ご家族の想いを大切にし、時間が流れて変化していく慣れ親しんだ物理的な器としての家づくりを、お手伝いしています。小田原周辺での住宅設計や、日々の積み重ねを大切にした無理のない省エネリフォームなど、住まいに関するご相談は、お気軽にお寄せください。

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