Diary 2006年11月13日

開成町の家の地鎮祭&契約立会い。
お天気で良かった。事故無く、完成まで宜しくです。


心にナイフをしのばせて/奥野修司著 読了

東名高速道路の川崎インターを降り、横浜方面へ300mほど走ると、ゆるゆるとした斜面が見えてくる。雑木林に混じって竹林が風に揺れる、そんな小高い丘の足元には、一面のつつじが花開いていた。

そのつつじ畑の中に、被害者の加賀美洋君(私立サレジオ高校 15歳)は、胴体から頭を切り取られた状態で殺されていた。1969年4月23日、初夏を思わせるような晴天の日の午後4時過ぎのことだった。この凶行の犯人は、同級生のA(15歳)。そしてここから加賀美家の崩壊が始まる。ノンフィクション作家、奥野修司氏が追いかけ続けた実話。


現在の少年法は、1949(昭和24年)年にGHQの介入のもとに施行されました。当時のアメリカの伝統的な保護主義を反映し、少年犯罪は保護と教育で矯正できると言う趣旨の物でした。
後年、アメリカは少年犯罪と言えども厳罰を持って対処する「厳罰主義」に変わっていくのですが、日本だけが理想主義を残したまま現在にいたっています。

この少年法が、現在の少年犯罪の増加に対して、どう言う影響を与えているのかは分かりません。また、犯罪を犯した少年たちの改心と更生を期待する、ある意味での「性善説」を旨とするのか、あるいは少年であろうと、犯罪には厳罰で対処するべきなのかが、私には分かりません。ですが、一つだけハッキリ分かることがあります。それは、この事件の加害者、少年Aは改心してないし、更正もしていないと言うことです。


加賀美家は、長男洋君の無残な死により崩壊していきます。父も母も妹も全てが・・・・・・。
ところが犯人のAは関東医療少年院を数年で出た後、少年の人権保護の観点から、全ての記録や記憶を隠蔽され、普通の生活に戻ります。たった一言の詫びも無く、たった一輪の花を手向けることも無く、大学に進み、こともあろうに弁護士として何不自由無い暮らしをしています。被害者家族との示談金を払うこともせず、何も無かったかのようにです。

犯罪者の更正とは、いったい何を持って『更正』と呼ぶのでしょう。
少年法保護の名の元に、全てを国に保護される加害者と、全てのプラシバシーを無くした被害者とその家族の差は、いったい何なのでしょう。

いろいろなことを考えさせられる、重い一冊です。


★新しくリースで購入したのに、ほったらかしにしたままのPCを、そろそろセットしようと重い腰を上げた。
古いPCからHDを外し、新しいPCのCDドライブに繋いでみた・・・・・・・・・・・・・・・・ダメみたいだった(凹)。
こっちがマスターのように、2000のOSが立ち上がってしまう。で、外すとXPが立ち上がる。と言うことは・・・マスターとして認識しているってこと??? 仕方ない!今日は、このぐらいにしておいてやろう(←池乃めだかか?)

明日は取材&撮影がある。
これから掃除して・・・・・、掃除して・・・・・・、掃除して(どれだけ汚い?)
ちなみに顔写真は、止めて貰いたいのが本音。
カメラマンの方に、お願いしてみよう。 「顔はやめな、ボディにしな、ボディに!」と。

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